次回例会は
『歌声にのった少年』(2015年パレスチナ映画)
  上映時間:1時間38分
2017年9月16日(土)呉ポポロにて
①12:50 ②15:30 ③18:30 の3回上映
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窓外に思いはせ46年=「自分の脚で出る」―名張毒ぶどう酒事件・奥西死刑囚

以下コピペです

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1969年9月、名古屋高裁で逆転死刑判決を受けた奥西勝死刑囚は、その後の46年の大半を名古屋拘置所(名古屋市)で過ごし、独房から冤罪(えんざい)を訴え続けた。
 
 特別面会人の稲生昌三さん(76)によると、3畳ほどの独房には三重ガラスの窓が一つ。空しか見えない窓から外界に思いをはせ、執行の恐怖に向き合ってきた。死刑は朝に執行されることから、「昼食の時間になってやっと安心できる」。夕食後は再び翌朝の執行におびえた。
 恐怖におののく日々から抜け出そうと、再審請求を繰り返した。73年以降、4回に及んだ独力での請求はいずれも棄却。5回目以降は日弁連が支援して弁護団が結成され、稲生さんら支援者も拘置所に待遇改善を求めるなどしてきた。
 2005年4月。第7次請求審で名古屋高裁が弁護側提出の新証拠を評価し、再審開始を決定。拘置所の面会室で奥西死刑囚は稲生さんとアクリル板越しに手のひらを合わせ、喜びで号泣した。
 しかし06年に同高裁の別の部が検察の異議を認め、決定は取り消しに。直後に帯状疱疹(ほうしん)を発症、痛みと執行の悪夢にさいなまれる数カ月を送った。
 弁護側の特別抗告を受けた最高裁は、審理を差し戻したが、名古屋高裁は12年5月、改めて再審請求を棄却。「これが最後」と懸けていた反動もあってか、2日後に高熱を出して名古屋市内の病院に入院し、そのまま八王子医療刑務所(東京都八王子市)に移された。
 晩年は、稲生さんの計らいで年1200通ほど届く全国からの励ましの絵手紙を「心の食べ物」「元気の糧」と呼び楽しみにしてきた。「再審公判では(無罪判決を受け)自分の脚で裁判所から出て行きたい」と、手脚の運動を心掛けていた。
 しかし、医療刑務所移送後はベッドで過ごすことが多くなり、一時危篤状態に陥って以降は、人工呼吸と栄養剤の点滴の管を体につながれ寝たきりの状態となっていた。 

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映画サークルでも、この事件、奥西さんのことを描いた『約束』を例会で上映しましたね。
プロデューサーにも来ていただいて、多くの方が疑問や怒りを抱いていたのが印象的でした。
この映画を通じて、知らないことを知ることができ、奥西さんの人生を思わずにはいられなくなりました。

ご冥福をお祈りいたします。

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